本市出身大関和をモチーフにNHK連続テレビ小説「風、薫る」制作決定

公開日 2025年02月03日

大田原市出身の大関和をモチーフにしたNHK連続テレビ小説「風、薫る」が2026年春から放送予定

 大関和(おおぜき ちか)と鈴木雅(すずき まさ)、二人のトレインドナースをモチーフに描く、二人の主人公のバディドラマ。

 大関和をモチーフにした、主人公の一人「一ノ瀬(いちのせ)りん」役は、女優の見上愛さん。

大関和(おおぜきちか)(1858‐1932)

大関和の写真  

(注意)画像は『実地看護法』5版(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/921870/1/9)より転載

略歴

 幕末期の黒羽に生まれた、わが国看護界の先駆者です。

 和は安政5年(1858年)4月11日、黒羽藩重臣で石高200石の大関弾右衛門増虎(だんえもんますとら)・テツ夫妻の次女として、黒羽田町に生まれました。父増虎は元治元年(1864年)2月、黒羽藩主大関増裕(ますひろ)のもとで家老に就任し、活躍しましたが、慶応3年(1867年)12月の増裕の急死後、同4年3月に辞職しています。その後、一家で上京したようですが、黒羽藩の藩制改革により、増虎は家知事となり、和も黒羽に戻ったと考えられます。

 明治9年(1876年)5月、増虎は50歳で死去しますが、この年、和は渡辺豊綱(わたなべとよつな)(1838‐1925)と結婚しています。和は、明治10年に長男六郎を産み、同13年に長女シンを産んでいますが、豊綱とは離婚となりました。

 和は、明治14年(1881年)に上京し、英語習得のために正美英学塾に通うなかで知遇を得た植村正久牧師の勧めにより、同20年1月、桜井女学校附属看護婦養成所に入学し、その第一期生(鈴木雅など6人)の一人となりました。明治21年(1888年)10月26日に看護婦養成所を卒業した和は、そのまま帝国大学医科大学第一医院(現東大病院)の外科の看病婦取締(看護婦長)となりました。明治23年には退職の上、年末、新潟県の高田女学校舎監兼伝道師として同校へ赴任しています。その後、明治29年夏、東京に戻り、秋には東京看護婦会講習所講師となります。

 明治32年(1899年)6月には、自身の著書『派出看護婦心得』が刊行され、同34年には、東京看護婦会会頭に就任しています。明治40年10月には、病気療養のため那須湯本に逗留しており、この間、著書『実地看護法』の原稿執筆を開始するところとなりました。同書は翌明治41年4月、秀英社から刊行されています。

 和は明治42年(1909年)11月3日、大関看護婦会を設立し、大関看護婦講習所を開所しており、後進の育成と派出業務を通した実践活動に専念しました。さらに明治44年には、大日本看護婦協会東京組合長に就任となりました。晩年は、脳溢血で不随の2年間を病床で過ごし、昭和7年(1932年)5月22日、74歳で死去しました。

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