公開日 2017年02月14日
- 指定年月日 昭和40年10月1日
- 所在地 大田原市中田原1264、山の手2-11-14 光真寺境内
- 管理者 大田原市、光真寺
大田原藩主とその家族の墓所で、中田原と光真寺の2か所にあります。
中田原墓所は上坊(かみのぼう)と呼ばれ、大田原氏の初期の墓所で、水口居館((みなくちきょかん)(市指定史跡)の東方約500メートルに位置し、胤清(たねきよ)・資清(すけきよ)・綱清(つなきよ)の戦国期大田原氏三代が葬られています。
光真寺墓所には歴代大田原藩主のうち、晴清(はるきよ)・政清(まさきよ)・高清(たかきよ)・扶清(すけきよ)・富清(とみきよ)・一清(かつきよ・勝清)が葬られています。
また、典清(のりきよ)・純清(すみきよ)・清信(きよのぶ)・建清(たてきよ)(扶清の子)・友清(ともきよ)・庸清(つねきよ)・光清(みつきよ)・愛清(よしきよ)・広清らは東京芝高輪の泉岳寺に葬られていますが、光真寺にも墓碑並びに歴代藩主の合祀碑があります。
光真寺東墓所はもと晴清・政清・高清の墓所でしたが、元禄年間(1688から1704)に西墓所に移され、現在は墓碑跡の石碑のみがあります。
光真寺は天文14年(1545)資清が創建し、資清の兄麟道和尚が開山第一世で寺領500石を有しました。
大田原氏歴代当主(『大田原市史前編』より)
忠清(ただきよ) 忠明 永忠 長清 吉清 定清 重清 康清 信清 次清 高清 胤清 資清 綱清 晴清 政清 高清 典清 純清 清信 扶清 友清 庸清 光清 愛清 広清 富清 一清
中田原墓所
光真寺墓所
(大田原氏関係参考文献)
- 『大田原市史 前編』大田原市 1975年
- 『那須の戦国時代』北那須郷土史研究会編 下野新聞社刊 1989年(86から92ページ、184から189ページ)
- 『那須郡誌』蓮実長著 下野新聞社 1970年
地図
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