水口居館跡(みなくちきょかんあと) 市指定史跡

2017年2月14日
  • 指定年月日 昭和36年12月8日
  • 所在地 大田原市町島295-2ほか
  • 管理者 個人、大田原市

  水口居館は明応年間(1492から1501)のはじめ、大田原(大俵)康清(やすきよ)が武蔵国から移り、居館を構えたところと伝えられます。

 以降大田原氏はこの地を拠点にして近隣に勢力を張り、那須家に仕えました。資清(すけきよ)の代に、福原氏、大関氏などと事を構え戦に敗れ、資清は永正15年(1518)に出家して、越前国永平寺に逃れたため一時廃館となりました。その後、天文(てんぶん)11年(1542)、越前の国主朝倉孝景(たかかげ)の応援を得て、白旗城の大関増次(ますつぐ)を攻めて自刃させ、還俗して再び水口に居住していましたが、大田原城(市指定史跡)の完成をもって居を移したため、廃館となりました。

 この居館跡は一辺約73メートルの方形で、現在、北側全面と東西の一部に土塁が残っています。土塁の外側に幅約12メートルの堀をめぐらした跡があり、堀の外にも一部土塁が残されています。 

  水口居館跡.jpg

(参考文献)

  • 『大田原市史 前編』大田原市 1975年(267から272ページ 略測図、居館付近略図)
  • 『栃木県の中世城館跡』栃木県教育委員会 1982年(168ページに略測図、航空写真)
  • 『那須の戦国時代』北那須郷土史研究会編 下野新聞社刊 1989年(86ページに略測図)

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