公開日 2017年02月14日
- 指定年月日 昭和41年2月15日
- 所在地 大田原市湯津上2146-4
- 管理者 個人
那珂川右岸の段丘上の字入山にあります。
真里谷清雲信胤(のぶたね)は、上総国(現千葉県)長南城(ちょうなんじょう)の城主であったと伝えられています。天正(てんしょう)18年(1590)落城の憂き目にあい、諸国流浪の末、越後国(現新潟県)村松で心陰流の剣術指南として落ち着きました。
その後、清雲の門人になった堺忠次信広(さかいちゅうじのぶひろ)が母親のいる佐良土(さらど)へ帰郷していたところへ、清雲も忠次を尋ねて湯津上の地に至りました。折しも福原城主那須資景(すけかげ)が3年来のおこり病に悩んでいるのを聞きつけ、清雲は霊剣による祈祷をもって治療し、その功績によって湯津上に500石の土地を給付されて永住することとなりました。
清雲自身は、生涯妻帯せず、忠次を養子に迎え家督を相続させ、寛永4年(1627)に没しました。現在に残る墓碑は、清雲5代の遠孫である真里谷久弥が元禄3年(1690)に建立したものです。
(参考文献)
- 『湯津上村誌』湯津上村 1979年(421,434ページ)
- 『那須郡誌』蓮実長著 下野新聞社 1970年(210ページ)
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