大田原城跡(おおたわらじょうあと) 市指定史跡

2017年5月2日
  • 指定年月日 昭和36年12月8日
  • 所在地 大田原市城山2丁目
  • 管理者 大田原市

 大田原城は、大田原資清(すけきよ)によって築城され、天文12年(1543)あるいは天文14年(1545)にそれまで本拠としていた町島(まちじま)の水口居館(みなくちきょかん)(市指定史跡)から移ったといわれます。以後、明治4年(1871)の廃藩置県にいたるまでの大田原氏の居城でした。

 本丸・二の丸・三の丸に区画され、この外、北と西の曲輪(くるわ)・馬場・作事場等がある複郭式の平山城(ひらやまじろ)でした。

 徳川家康は特にこの地を重視し、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い前、上杉景勝(かげかつ)の挙兵の際にはその備えとして急ぎ城の修理を命じ、さらに3代将軍家光は、常時玄米千石を城中に貯蔵させ奥州への備えとしました。文政8年(1825)には火災によって焼失しましたが、同9年新たに修造されました。

 戊辰戦争では、大田原藩は新政府軍につき、大田原城は会津攻めの拠点となりました。そのため、慶応4年(1868)会津軍の攻撃をうけましたが、火薬庫の爆発により落城はまぬがれました。

 明治5年(1872)、城は兵部省に引き渡され取り壊されました。明治19年(1886)長野県出身の渡辺国武(くにたけ)(大蔵大臣)の所有となりましたが、昭和12年(1937)、子の渡辺千冬(ちふゆ)(司法大臣)により当時の大田原町に寄贈され、のちに龍城公園として整備されました。

大田原城跡.jpg 

(参考文献 大田原城関係) 

  • 『栃木県の中世城館跡』栃木県教育委員会 1982年(略測図169ページ)
  • 『大田原市史 前編』大田原市 1975年(口絵・大田原城景図、278ページから289ページ)
  • 『那須の戦国時代』北那須郷土史研究会編 下野新聞社 1989年(90ページ)

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