紙本著色 大田原資清と一族の肖像画(しほんちゃくしょく おおたわらすけきよといちぞくのしょうぞうが) 市指定有形文化財(歴史資料)

公開日 2017年05月02日

  • 指定年月日 平成10年2月23日
  • 所在地 大田原市山の手2-9-2 龍泉寺
  • 所有者 龍泉寺
  • 員数 1幅
  • 製作年代 江戸時代
  • 作者 小川破笠(はりつ)
  • 大きさ 縦75センチメートル 横35.5センチメートル

 大田原城を築き戦国期の大田原氏躍進の原動力となった、大田原資清を中心に一族を描いたものです。

 画面中心に資清(1486から1560)、その下右側に綱清(つなきよ)(年不明から1590)・政清(まさきよ)(1612から1661)・勝清(かつきよ)(1585から1647)・清宗(きよむね)(年不明から1697)、左側に晴清(はるきよ)(1567から1631)と一族の女性3人が描かれています。戦国時代末期から近世初頭にかけての大田原家の歴史を知る上で、またその時代を彷彿(ほうふつ)させる貴重な歴史資料といえます。

 大田原資清は那須氏の家臣でしたが、大関氏、福原氏と争い敗れて出家し越前に逃れました。後に戻り天文11年(1542)大関増次(ますつぐ)を倒し、子の高増(たかます)に大関氏を継がせ、大田原城を築きました。この像では僧形鎧姿で描かれています。右下三男綱清が資清を継ぎ、薄葉が原の戦いに戦功をあげました。左の孫晴清は、天正18年(1590)豊臣秀吉から7,115石の本領を安堵(あんど)され、関ヶ原合戦、大坂の役に東軍として参戦し、所領の加増をうけました。

 作者の小川破笠(銘は卯観子破笠翁、1663から1747)は江戸時代中期の漆芸家です。その作品は漆器に貝・象牙・鉛などを蒔絵(まきえ)にはめ込んだ異色のもので、破笠細工と呼ばれます。俳諧・絵画をも得意とし、絵を英(はなぶさ)一蝶(いっちょう)に、俳諧を松尾芭蕉に学ぶなど、当代一流の文化人との交流で知られます。

 

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