白旗城跡(しらはたじょうあと)(本城山 ほんじょうさん) 市指定史跡

2017年2月17日
  • 指定年月日 昭和46年2月12日
  • 所在地 大田原市余瀬335ほか
  • 管理者 西教寺ほか
  • 南北約500メートル、東西の平均150メートル 面積約7.5ヘクタール

 白旗城は、大関氏の室町時代から戦国時代にかけての拠点で、大関上総介(かずさのすけ)増清(ますきよ)が応永年間(1394から1428)に松野(現那珂川町)より移り築いたといわれます。以後、天正4年(1576)に大関高増(たかます)が黒羽城(市指定史跡)に移るまで、約180年間の城砦(じょうさい)でした。

 白旗城は、白旗丘陵の突端部を利用したもので、連郭式の山城です。南端の丘陵突端から郭(くるわ)が6つあり、北に向かって次第に大きくなっています。これら郭の間には土塁と空堀(からぼり)がめぐらされ、東側には付け郭(馬場)があります。

 現在、本城・二の丸・北城などの地名も残っており、北城の北側には大雄寺跡、南三の丸の東には帰一寺(きいちじ)跡があります。さらに、余瀬(よぜ)の集落にも、新善光寺跡・光明寺跡・大正院跡などがあり、城郭内外の要所に寺院が配置されていたことがわかります。余瀬は、古くは粟野(あわの)宿といい、東山道(中世では関街道・秀衡(ひでひら)街道)が通過しており、交通・軍事の要衝の地でした。白旗山の名は、源頼義が奥州の安倍頼時(あべのよりとき)追討の際、この地に白旗を翻して軍(いくさ)揃いをしたことによるといいます。余瀬の地名も、この地で軍勢を寄せ集めたことから寄勢と称され、後に余瀬と改められたといいます。

  白旗城跡(本城山).jpg

(参考文献)

  • 『黒羽町誌』黒羽町 1982年(951ページ 見取図、折込実測図)
  • 『栃木県の中世城館跡』栃木県教育委員会 1982年 (186ページ)
  • 『那須の戦国時代』北那須郷土史研究会編 下野新聞社刊 1989年(78から81ページ 白旗古城図)

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