紙本著色 大関美作守高増画像(しほんちゃくしょく おおぜきみまさかのかみたかますがぞう) 市指定有形文化財(絵画)

2017年5月2日
  • 指定年月日 平成13年6月21日
  • 所在地 大田原市黒羽田町450 大雄寺(だいおうじ)
  • 所有者 大雄寺
  • 員数 1幅
  • 製作年代 江戸時代
  • 大きさ 縦95.5センチメートル 横53.0センチメートル
  • 形状 軸装

 大雄寺に伝来する大関高増(1527から1598)の画像で、黒漆塗りの木箱に入れられています。箱書きから貞享(じょうきょう)元年(1684)1月14日、黒羽藩主大関増栄(1639から1688)によって大雄寺に奉納されたものであることがわかります。

 大関高増は、大田原資清(すけきよ)の長子として大永(たいえい)7年(1527)に生まれ、天文(てんぶん)11年(1542)12月に大関増次(ますつぐ)が大田原資清との戦闘により自刃すると、大関氏の養子となり家督を相続しました。

 その人となりについては、「勇剛人(ゆうごうひと)に越(こえ)て専ら将帥(しょうすい)の器あり」と評されています。烏山城主那須氏の重臣として、那須衆を率いて、多くの武功がありました。後に安碩斎(あんせきさい)道松(どうしょう)・未庵(みあん)と号し、光厳寺(こうごんじ)の大虫宗岑(だいちゅうそうしん)に師事するなど、神仏への思いを深めていきました。また、家督を子息に譲った後も、当主との二頭体制で戦国末期の激動期を乗り越え、天正18年(1590)には豊臣秀吉より1万3千石の本領を安堵され、近世大名大関家の礎を築きました。

 本画像の高増は、大関氏の古紋(抱柊(だきひいらぎ)紋)が各所に施された椅子に腰を下ろして、金剛杖を側に立て、やや俯きかげんに一点を凝視しています。作者は不明ですが、まさに将帥の器として、見る者を畏怖させる高増の容貌が伝わります。

  

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