那須神社 本殿 楼門 附銅棟札(本殿附) 石燈籠 手水舟 (なすじんじゃ ほんでん ろうもん つけたり どうむなふだ いしどうろう ちょうずぶね) 国指定重要文化財(建造物)

2017年2月10日
  • 指定年月日 平成26年1月27日
  • 所在地 大田原市南金丸1628 那須神社
  • 所有者 那須神社
  • 員数 
    • 本殿 1棟
    • 楼門 1棟
    • 銅棟札 1枚
    • 石燈籠 2基
    • 手水舟 1基
  • 製作年代 江戸時代
  • 構造形式
    • 本殿 三間社流造(さんげんしゃながれづくり) 瓦棒銅板葺
    • 楼門 三間一戸楼門 銅板葺
  • 大きさ
    • 銅棟札 長さ77.0センチメートル 幅22.2センチメートル 厚さ0.3センチメートル
    • 石燈籠 基礎から宝珠までの高さ約290センチメートル 竿直径約45センチメートル
    • 手水舟 高さ77センチメートル 幅157センチメートル 奥行90センチメートル

 那須神社は、仁徳(にんとく)天皇の御代の創立、延暦年間(782から806)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神(おうじん)天皇を勧請して八幡宮としたといわれています。中世を通じて那須氏が篤く崇敬し、その後は黒羽城主大関氏の氏神としてあがめられました。

 本殿は天正5年(1577)の建造と伝えられ、大関美作守高増(みまさかのかみたかます)より奉納された同年の年紀のある鰐口(わにぐち)(県指定文化財)があります。しかし、附の銅板銘札の銘文に、寛永18年(1641)夏に大関土佐守高増(とさのかみたかます)が施主となって八幡宮を建立したことや、大工名・鍛冶名も記されていること、さらに建築様式の比較から、寛永の造営は新築であることが判明しました。

 外部の塗装彩色は剥落や退色が進んでいますが、柱や長押(なげし)・桁(けた)・虹梁(こうりょう)などに施された様々な繫文様(つなぎもんよう)の彩色や金箔押(きんぱくおし)はいずれも当初のもので、華やかな桃山風の意匠です。沢瀉(おもだか)の丸紋彫物(まるもんほりもの)は大関氏の定紋(じょうもん)で、造形的にも秀逸です。内部には鮮やかな色彩の装飾絵画も残っています。

 桁や垂木(たるき)の形状や装飾の造形に中世の技法を残しますが、全体は近世の形式と技法であって、虹梁を組み込んだ斗栱(ときょう)や木鼻(きばな)の渦紋は独特な細部です。中世から近世への転換期を代表する華麗な本殿建築といえます。

 楼門は拝殿前方に南面して建ち、東西には塀が連続して入母屋造の長床(ながとこ)があります。本殿と一連で造営されたもので、江戸初期の建築です。

 昭和52年から55年(1977から1980)の3年間の解体修理工事で、それまでに解体された痕跡がないことと、下層一手先巻斗(ひとてさきまきと)の墨書(寛永19年7月11日)、二重頭貫(かしらぬき)の墨書(寛永19年閏9月16日)などにより、天正5年(1577)の造営ではなく、寛永19年(1642)に建立されたことが判明しました。

 上層に屋根を架け、下層に高欄(こうらん)付きの縁を廻したいわゆる楼門形式になります。柱を受ける礎盤(そばん)、頂部に粽(ちまき)をつけた柱、柱と柱の間にも斗栱(組物)を配置した詰組(つめぐみ)の形式など、典型的な禅宗様(ぜんしゅうよう)という建築様式になっています。木鼻の渦文は本殿とよく似ています。

 斗栱は上層・下層とも通肘木(とおしひじき)としたところに特色があり、特に上層の尾垂木(おだるき)付の四手先斗栱(よてさきときょう)は格式の高い形式です。尾垂木は強度を考慮して一本の木から作り出すなど、当時の工夫が窺えます。また全面に塗装が施されており、上層一面に描かれた墨絵の大雲竜は非常に大胆です。

 ちなみに大雲竜は、下図をもとに、人間国宝樫山南風先生の監修、那波多目煌星(なばためこうせい)、功一画伯親子の揮毫(きごう)により、昭和の修理で復旧されました。

 そのほか、附として、寛永19年(1642)に黒羽藩主大関高増が所願成就のために奉納した、芦野石製の石燈籠2基と手水舟があります。

  那須神社本殿

  銅棟札(表)

那須神社楼門 那須神社楼門

那須神社石燈籠 石燈籠

手水舟 手水舟

地図

那須神社

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