片府田館跡(かたふたやかたあと) 市指定史跡

2017年2月14日
  • 指定年月日 昭和41年2月15日
  • 所在地 大田原市片府田

 箒川との合流点に近い蛇尾川左岸の段丘上にあります。倉骨丘陵の端麓になり、当時は東西120間(210メートル)、南北330間(594メートル)の長方形で連郭であったとも伝えられ、本丸部分が横約40間(72メートル)、縦約80間(144メートル)あって、周囲に堀が回っていたといいます。昭和50年代の土地改良事業に伴い、当時の面影は失われてしまっています。

 片府田はもと上福原といわれ、片府田館は、那須太郎資隆(すけたか)の四男、四郎久隆(ひさたか)が福原に分地され、福原氏を名乗って住んだのが始まりといわれます。系図類によると久隆は弓の名手で知られる那須与一宗隆の兄といわれます。福原の永興寺(ようこうじ)に久隆の墓碑があり、「久山栄隆大禅定門 建永元丙寅正月二十八日」と刻銘があります(建永元年は1206年)。

 久隆の後も福原氏が本拠としていましたが、資保(すけやす)の代の天正(てんしょう)18年(1590)に豊臣秀吉の命により、佐久山の四ツ谷に新館を築いて本拠を移したことから片府田館は廃館となったといわれます。 

 片府田館跡.jpg

(参考文献)

  • 『湯津上村誌』湯津上村 1979年(432ページ)
  • 『栃木県の中世城館跡』栃木県教育委員会 1982年(192ページ)
  • 『那須の戦国時代』北那須郷土史研究会編 下野新聞社刊 1989年(45ページ)

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