光厳寺高増墓地(こうごんじたかますぼち) 市指定史跡

2017年2月14日
  • 指定年月日 昭和46年2月12日
  • 所在地 大田原市寺宿303 光厳寺境内
  • 管理者 光厳寺

 大関美作守(みまさかのかみ)高増(1527から98)の墓地で、光厳寺境内にあります。墓碑は、宝篋印塔(ほうきょういんとう)と五輪塔(ごりんとう)が混在した形状となっており、高さ124センチメートルで、台座の高さは13センチメートルです。墓碑は、いつの時代にか崩れ、後年、異なる墓碑の崩れ石で修建されたようで、原形を保ってはいません。周囲を玉垣で囲まれています。材質は、玉垣の内側の灯篭は花崗岩(かこうがん)、その他は芦野石です。

 大関高増は、大田原資清(すけきよ)の長子として大永(たいえい)7年(1527)に生まれ、天文(てんぶん)11年(1542)12月に大関増次(ますつぐ)が大田原資清との戦闘により自刃すると、大関氏の養子となり家督を相続しました。烏山城主那須氏の重臣として、那須衆を率いて、多くの武功がありました。天正4年(1576)には白旗城から黒羽城に移り、天正18年(1590)に豊臣秀吉より1万3千石の本領を安堵(あんど)され、近世大名大関家の礎を築きました。また、安碩斎道松(あんせきさいどうしょう)・未庵(みあん)と号し、隠居後は光厳寺に隠棲(いんせい)しました。慶長3年(1598)11月14日、72歳で亡くなりました。

 なお、高増室の墓碑も、高増墓地の玉垣の外にあります。

  光厳寺高増墓地.jpg

(参考文献)

  • 『黒羽町誌』黒羽町 1982年(248から252ページ)
  • 『那須の戦国時代』北那須郷土史研究会編 下野新聞社刊 1989年(82から85ページ)
  • 『那須郡誌』蓮実長著 下野新聞社刊 1970年(157ページ)

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