蒲盧碑及蒲盧碑原文(ほろのひおよびほろのひげんぶん) 市指定史跡

2017年5月2日
  • 指定年月日 蒲盧碑 昭和36年8月22日
  • 指定年月日 蒲盧碑原文 昭和36年12月8日
  • 所在地 大田原市親園3034-1 湯殿神社境内 
  • 管理者 親園北区区長

文化9年(1812)10月、那須野に一隊の兵士が刀をかつぎ槍をうち立て行進する蜃気楼(しんきろう)が現れました。たまたまここを通った甲州の高津義克という行脚(あんぎゃ)僧が目撃し、その光景を書き残して去りました。それが蒲盧碑原文で、のちに石に刻んで建立したのがこの碑です。

土地の者は蜃気楼のことを「ほろ」と呼んでいました。当時親園(ちかその)地区は天領で八木沢(やぎさわ)村と呼ばれ、代官山口鉄五郎の支配下にあり、代官の出張陣屋が設けられていました。山口鉄五郎は水路を開削し新田を開発するなど、農村の振興に努め領民から深く親しまれていました。

人見伝蔵(でんぞう)は著書「那須野蜃気楼 蒲盧碑考」の中で、中国の書「中庸」の中に「政治は蒲や盧のようなもの」という一文があり、碑文はこの山口鉄五郎の善政を蜃気楼の蒲盧に結び付けたものとしています。

碑文の裏面には代官手代(てだい)飯岡直蔵(重武)の詠んだ「はてしなく浮世の人にみするかな 那須の野面のほろのいしぶみ」が刻まれています。

蒲盧碑.jpg 蒲盧碑原文.jpg

(参考文献) 

  • 『大田原市史 前編』大田原市 1975年(371ページ)
  • 『那須野蜃気楼 蒲廬碑考』人見伝蔵著 1954年

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