秀衡街道跡(ひでひらかいどうあと) 市指定史跡

2017年2月14日
  • 指定年月日 昭和41年2月15日
  • 所在地 大田原市蛭田1576ほか
  • 管理者 個人

 国道400号から蛭田小学校に向かう東西に走る道路と垂直に交わるように秀衡街道跡が走っています。現在は畑として利用されていますが、周辺の畑に比べ多少くぼ地になっており、約7メートルの幅をもっています。

 古代の湯津上地区には、都と奥州を結ぶ官道東山道(とうさんどう)が、那珂川に沿った佐良土(さらど)・湯津上・小船渡(こぶなと)・狭原(せばはら)の各地区を経由して黒羽に抜けていたと考えられています。蛭田の秀衡街道と称する街道跡は、その脇街道としての役割を果たしていたと考えられています。

 平安時代末期に栄華を誇った奥州藤原氏との関連により、東山道や鎌倉街道には秀衡街道と呼ばれるところもありました。蛭田の秀衡街道は、中の原北部の金子山付近に「秀衡山」、「秀衡窪」という地名があったことから、蛭田からそこを経由して余瀬(よぜ)へと続いていたものとみられています。なお、余瀬あたりを通る東山道(鎌倉街道)は、白河の関に向かう道なので関街道とも呼ばれました。

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(参考文献)

  • 『湯津上村誌』湯津上村 1979年(414,434ページ)
  • 『那須野ケ原の道』那須野ケ原開拓史研究会 1991年(21ページ)
  • 『大田原市史 前編』大田原市 1975年(996ページ)

地図

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