真理谷清雲の墓所

湯津上の水田地帯を東に臨む丘陵上の墓地の一角にあります。真理谷清雲信胤は、上総国(現千葉県)長南城の城主であったと伝えられていますが、天正18年(1590年)開城の憂き目に遭い諸国流浪の末、越後国(現新潟県)村松で心影流の剣術指南として落ち着いていました。
そこで、清雲の門人となった堺忠次信広が母親のいる佐良土(さらど)に帰郷していたところへ、清雲も忠次を慕ってはるばるこの地に訪れてきました。折しも、福原城主那須資景が3年来のおこり病に悩んでいるのを聞きつけ、霊剣による祈祷をもって治療しました。その功績によって500石の土地を賜り永住することになったのです。
清雲自身は生涯妻帯せず、忠次を養子に迎えて家督を相続させました。寛永4年(1627年)卒。現在に残る墓碑は、清雲5代の遠孫である真理谷久弥が寛延3年(1750年)に建立したものです。
登録日: 2008年10月16日 / 更新日: 2008年10月16日




