片府田館跡

片府田地内にある中世の館跡です。昭和50年の土地改良事業に伴い、当時の面影は失われています。当時は、東西120間、南北330間の規模をもち、本丸部分が横約40間、縦約80間あって、周囲に掘があったといわれています。
片府田館は、那須太郎資隆の四男、四郎久隆が福原に分地され、福原氏を名のって住んだのが始まりといわれ、片府田は、もと上福原といわれていました。久隆は、弓の名手で知られる那須与一宗隆の兄弟でもあります。大田原市福原の永興寺に久隆の墓碑があり、「久山栄隆大禅定門 建永元丙寅(1206年)正月二十八日」刻銘があります。
久隆の後は、資広‐資時‐資義‐資継‐資陣‐資常‐資益‐資規‐資英‐資澄‐資衝‐資郡‐資孝‐資保(福原豊太郎氏系図による)と続き、資保が天正18年(1590年)に豊臣秀吉の命により、大田原市佐久山の四ッ谷に新館を築いて移り住んだことから、片府田館は廃城となったといわれています。
登録日: 2008年10月16日 / 更新日: 2008年10月16日




