佐良土館跡

 佐良土(さらど)にある中世の館跡です。東西約30間、南北約40間あり、南を除く3方には高さ約5メートル内外の土塁が残されています。

 佐良土(さらど)館跡は、天正18年(1590年)烏山城主であった那須資晴が豊臣秀吉の小田原攻めに参戦しなかったために秀吉の怒りにふれて城地を没収され、わずかに、福原庄に5千石を給されて閑居となったところです。

 資晴が慶長15年(1610年)没したのに伴い、わずか20年で廃城となりました。資晴は大田原市福原の玄性寺に葬られたといわれるが、佐良土(さらど)館跡の北方約200メートルにある法輪寺にも資晴の墓と伝えられる古墓があります。